「希望が見える」
こんにちは、中野満知子です。
アサーティブトレーニングのセミナーを担当しています。
6月初めの1・2日、応用講座も感動のうちに終了いたしました。
何が感動するかと言えば、はじめは
「その批判の言葉、間違っている、腹が立つ」
と自分一人に向けられたものと思い込んでいたことも、実は職場の改善のために、
ひいては社会をより良くしてゆくために必要な怒りだった、と気づいて
言葉にしてゆく過程が“すごい”と思うのです。
一人の課題がみんなのものになって、互いに力を出し合って解決に向かってゆく
ロールプレイの時間、もう感動以外の何物でもありません。
ご参加くださったみなさんありがとうございました。
「怒り」の先に見える希望――
ってどういうことか、不思議でしょう?
たとえば、ある保育園での出来事なんですが、
いつも自転車の後ろに子どもを乗せたままその場を離れているママさんがいます。
周りの人たちは「危ないのによくそんなことできるわね」とヒソヒソ・・・
そのママを批判しています。
ある保育士さんが気づいて、もしかして? と思い当たる節がありました。
「もしかして、こだわりの強いお子さんかしら?」
そう聞いてみれば、泣きそうになっていた自転車のママさんは、
「はい、こだわりが強くて、決められたルーチン通りにしか動きません。
自分の保育園に行くまでは、何があっても下りようとはしないのです」
「そうよね、わかるわかる、私の子どももそうだったわ」
それからその時間、保育士さんが見ていてくださるようになりました。
私はこのエピソードで、二つのことに怒りを覚えていました。
なぜ自転車に乗せたままかと言えば、先に下の子をこの保育園に預けて、
もう一人の「頑として下りようとしない」方の子どもは、
別の保育園に預けに行かなければならないからということ。
どうして兄弟同じ保育園に預けられないのか?
市の方針なのか、子どもの枠なのか、その無政策に腹が立ちました。
もう一つは、批判だけして何も助けてあげようとしない保護者たちのこと。
そうせざるを得ない事情があると想像してみれば、
「どうしたの?」と声をかけるくらいできるだろうに。
私自身も子どもたちが小さい時に、「どけ!じゃまだ」とか、
心ない言葉を投げかけられたのを思い出し、悔しくて涙が出そうになりました。
さてここでアサーティブだったらどう対応するのかといえば、
「もう批判ばかりしてなによ! こっちの事情も知らないで」と
心でいくら叫んでも誰にも届かないので、助けを求めるのです。
まずは理解してくれそうな保育士さんからでしょう。
次に周りの保護者の方たちに少しずつでも事情を説明できたらいいですね。
もっとも、朝はどの保護者も急いでいますから、見ていてくれるなんて手助けは
期待できないでしょうが、少なくとも批判の矢は防げるでしょう?
そのうち、保育士さんが発端になって園としての対策が話題になり、
園から行政の方へと問題が明るみに出されていくといいなあ~
というのが私の希望的観測。
自分だけの怒りと思っていたことが、社会と結びついていることって結構あるのです。
アサーティブの最初の一歩は勇気、それから希望へとつながってゆく。
まずは基礎講座をご一緒に。
次回はちょっと先になりますが、10月5・6日(土・日)
アスク研修室でお待ちしています。