今成です。
突然の台風が東京をかすめた秋の一日、私は母校の小学校にいました。
なんと、39年ぶりの小学校のクラス会が開かれたのです。(年齢を計算しないこと!)
連絡が来たのが今年の1月。
といっても、名簿があったわけではありません。
公立ではありますが、もともと区域以外から電車通学していた人(私もそう)も多かった学校です。卒業アルバムにあった住所で連絡がついた人はごくわずか。ほとんどが「連絡先不明」です。
私についてはネット検索でこのブログがヒットしたらしく、なつかしいNさんから職場に問い合せのメールが届きました。旧姓で仕事をしている上、名前がめずらしいので、探し当てられたのですね。
言いだしっぺのNさん曰く、「子育てもほぼ終わり余裕ができたけど、何か物足りないので、楽しいことをしたいと思って……」。
3人が中心になり、1人また1人とツテをたどって、9ヵ月間に45人中31人と7割を探し当ててくれました。
当日集まったのは、22名。九州や関西からはるばる駆けつけた人も。
78歳になられた担任のK先生も、病気をおして出席してくださいました。
学校の玄関で最初に出会った男性。お互いに探るように顔を見合うのですが誰だかわかりません。でも、「Sです」「今成です」と名乗りあったとたん、「おじさま」の顔から当時のSくんがぶわ~っと浮かび上がります。あ~、クラス一の秀才だった、あのSくんだ!
ドラえもんのタイムマシンで39年を行ったり来たりするような感覚。
うっそ~! Yくんは、顔も髪型も、チャチャを入れる話し方も同じじゃない!
え~、Mさんなんて、背も高いし顔もそのままだ。
Sくん、あんなに丸かったのに、半分ぐらいに細くなった。ぜんぜんわからないよ。
I くんは大きくふくらんだね。でも、昔のままだ。
えっ、Kさん、あ~!
誰かが持ってきた卒業アルバムの写真の拡大コピー。文集。全員の卒業の言葉が載ったPTA新聞。極めつけは「クラス日誌」。Hくんが卒業の日にゴミ箱行きになるところを救い出し、その後の十数回の引越しを経ながら39年保管して、赴任先の九州から今日のために持ってきたのです。
幼い当時の顔と今の顔を見比べながら話しているうちに、唐突に小さな記憶の破片が現れ、あっちにカチ、こっちにカチ、とはまって巨大なパズルがまだらに埋まっていく……。不思議な感覚です。
「あの脱脂粉乳まずかったねえ」(戦後10年目に生まれた私たち、給食に牛乳が出るようになったのはたしか高学年になってからでした)
「コークスのだるまストーブ。濡れたクツを乾かすと臭くて」
「上履きを脱いで教室に入ったでしょ。みんなで教室の床をワックス塗りして、つるつる滑って、靴下が穴だらけになった」
「渡り廊下が長くて、給食運ぶときよくこぼして怒られた」
「宿題忘れて、よく廊下に立たされなかった?」
担任のK先生は、「今だったら、そんなことしたらPTAから苦情が殺到するよ」。
39年は順調な日々ばかりではありません。
夫が脳出血で倒れ介護と子育てに奮闘。
まさかの会社の倒産や、リストラに遭った。
命にかかわる大病をした。
深くは語らないけれど、それぞれにいろんな荒波を潜り抜けて、あの子どもたちは「おじさん」「おばさん」になったのです。
感動の目撃シーン2つ。
◎脱脂粉乳が飲めなかったMくん(今は髭の外科医)がKさん(保育士)に、「あの頃、隣の席で。脱脂粉乳を代わりに飲んでもらいました。本当にありがとう。あなたは私の心の友でした」。
◎「クラス日誌」を持ってきてくれたHくん(九州で遺跡の発掘調査をしている!)。みんなをまわって表紙がとれた日誌を満足そうに眺めて、「こんな日がいつかあるかと捨てずに持っていたんだから、ボロボロになって満足。次回のために幹事に渡しておこう」。
「どんな仕事をしても、夢を持って力いっぱいやりたい」
PTA会報に載っていた私の卒業の言葉です。
もうちょっと具体的におもしろいことが書けなかったのかとがっかりしましたが、生真面目な12歳の少女としては、嘘のない精一杯のところだったのでしょう。
おでこにニキビが花盛りで、男の子から「月面クレータ」とはやされて泣いて、二次性徴にとまどいながら過ごしていたあの頃の自分に、出会った気がしました。
「うん、39年後の私、夢を持って力いっぱい仕事してるよ!」
言いだしっぺと幹事の三人組、本当にありがとう。みんな、また会おうね!
中年の読者のみなさま、小学校のクラス会、企画しませんか。楽しいですよ。